北野誠は何を言ったのか

「毒舌キャラ演じるため…」不適切発言の北野さん、涙で謝罪
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090428-00000782-yom-ent



北野誠さん、大学のゼミで「アントニオ猪木 新日本プロレスにおける経営戦略」なる卒論テーマを提出するも、あえなく講師が却下とか。

著書『死んだら、あかん!』僕の半生を綴った、渾身の一冊・・・

黙して語らず・・・ですか。

消化不良を起こしそうな話題ですね。



YouTube  2008.04.13 北野誠は何を言ったのか
http://www.youtube.com/watch?v=tLiVle96fIg

YouTube 「誠のサイキック青年団」涙の最終回 (2009年03月08日放送)
http://www.youtube.com/watch?v=2sCYF8sz8FM&feature=related



4月28日17時22分配信 読売新聞
 ラジオなどで不適切な発言をしたとして、所属事務所の松竹芸能大阪市)から無期限の謹慎処分を受けたタレント・北野誠さん(50)が28日、大阪市内のホテルで記者会見し、「事実に基づかない不適切な発言で、自分と同じ業界で働いているタレントの皆様、所属するプロダクション関係の皆様らに多大なるご迷惑をおかけした」と謝罪した。

 今月13日の処分発表以来、会見に応じたのは初めてで、時折涙ぐみながら「毒舌タレントとしてのキャラを演じるために、しなくてもいい発言があった」と振り返り、「トーク、話芸の未熟さがあった」と語った。

 処分の原因となった具体的な内容については「対象になった方にさらに迷惑がかかる」として明らかにしなかった。復帰のめどなどについては「全く白紙の状態。自分自身を見つめ直して再構築したい」と話すにとどまった。 最終更新:4月28日20時12分
参照記事http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090428-00000782-yom-ent




Wikipedia より

北野誠

北野 誠(きたの まこと、1959年1月25日 - )は、日本のお笑いタレント。所属事務所は松竹芸能。旧芸名はMAKOTO。血液型はA型。


来歴

大阪府大阪市鶴見区出身。大阪市立高等学校卒業後、京都産業大学経営学部在学中に、高校時代の同級生だった東野博昭(現在は構成作家)と共に、漫才コンビ「誠&がっしゃん」を結成。「ヤングプラザ」(朝日放送)、「お笑いスター誕生!!」(日本テレビ)などの番組に出演。

大学卒業後に芸能界入りするが、東野は教員になるべく引退、同時にコンビ解散。北野のみ松竹芸能に所属する。

コンビ解散後は、MAKOTOの芸名で活動していたが、関西地方以外では知名度が低かった。北島三郎の息子が、ロックバンド「First Blood」のボーカルMAKOTOとして活動を始めたのを機に、彼に芸名を譲る形で本名の北野誠で活動、現在に至る。


人物・エピソード

生い立ち

実家は農業を生業とし、姉が一人。幼少時、腎盂炎にかかり幼稚園を中退。家の近くにあった木造校舎が火事で炎上、その光景にショックを受けた北野は高熱を出して寝込み、高校生になるまでライターの火にも竦んだ。ひよこの時から飼育していた鶏がある日、父親の手により水炊きにされてからは、ケンタッキーフライドチキンに出会うまで鶏肉が食べられなくなる等、何かと脆弱な子供だった。ジョギングやストレッチなど健康に人一倍気をつけている現在でも、下痢をしやすいなど虚弱体質な一面があるという。何とか小学校に入学するも、幼稚園時代の話題がほとんど無く、友人作りに苦心。その後、学級委員に選ばれたことを機に学校でも有名になり、副生徒会長、生徒会長にも選ばれた。少年時代はテレビ番組「サンダーバード」に夢中となる。思春期には母屋から飛び出し、離れで暮らしていた。

高校時代は成績優秀で、推薦で京都産業大学に合格。本人は同大学に行くつもりはなく、関関同立といった有名私立大学を受験したが、結果は全滅で京都産業大学に入学、同校落語研究会に入会。九州出身の先輩部員に大阪弁のイントネーションをけなされたことに激怒、ケンカし退会。それから一年あまり、無為の日々を過ごす。プロレスや格闘技に造詣が深く、大学のゼミで「アントニオ猪木 新日本プロレスにおける経営戦略」なる卒論テーマを提出するも、あえなく講師が却下。自身もボクシング経験者である。


家族

実家は農家であったが、後年、父親は株式投資の失敗を苦にして焼身自殺した。北野がタレントになって間もない頃、フグ料理を食べに行こうと誘ったその日のことであった。「いつみても波瀾万丈」(日本テレビ)にゲスト出演した際にこの事実に触れ、同じ境遇にある人からの感動と激励の手紙をもらうが、その中には「私はこれで救われた」など宗教勧誘まがいのものも多々含まれていたため、げんなりしたという。
現在の住居は東京都にあり、妻、娘、息子の4人家族である。家族との会話は少なく、語る相手は愛犬のみだという。


人物像

著書やラジオでは、政治家や官僚の利権や既得権益、司法の在り方、税金、少年犯罪を憂うことも多い。
ゴシップ誌、マンガ、新聞等の他、文芸、政治経済、歴史、自己啓発本、暴露本、ノンフィクションとジャンルを問わず、かなりの読書家の面もある。過去、北野が絶賛した書籍は、貴志祐介「黒い家」、天童荒太永遠の仔」、村上龍「半島を出よ」、桐野夏生「グロテスク」「OUT」。
業界のしきたりや慣例、上下関係や礼儀に敏感である。所属事務所では後輩芸人の教育に腐心するなど、面倒見のいい兄貴肌タイプで、給料が100万円の大台に乗った際には、「やっとお金を気にせず、後輩にメシを奢ってやることが出来る。」と語っていた。
近年、一時期傾倒しながら休止していた株式投資を復活させた。素人向けの株式投資本も上梓した。他に、月に1回日刊スポーツ紙面において、同紙の覆面記者と株式投資でどれだけ収益を上げられるかという対決を行っている。その後、2006年初めからの新興株下落の影響を受け、株式投資に関するコーナーを設けているレギュラーラジオ番組「ツー快!お昼ドキッ」では、その件について真剣に嘆く様子が見受けられた。投資のリスクに触れず簡単に儲かると言う論者には苦言を呈しており、自らの投資も収支はプラスである。時々、自失しかけるほど手酷い目に遭うことも明かしている。
無為に時間を潰すのを嫌っており、休みの日である場合も「今日は何もしない」と自分に念じてからでないと休めない。また、音楽を聴きながら掃除やストレッチしながら株取引したりと典型的な「ながら」の面もある。


不祥事

1981年、映画「ガキ帝国」に出演。公開当時、井筒和幸監督らとともに大酒を飲み、新宿で交通標識等をその場の勢いで破壊。井筒監督らは逮捕されたが、別段、警察の追及もなかった北野はそのまま帰京した。しばらくしてから、新聞記事で自身が逃走犯扱いとなっていることを知って焦り、関係者からも「このままでは映画がおじゃんになる」と説得され、四谷署に出頭。10日ほど留置されるが、初犯であるなどの諸事情を斟酌して不起訴処分となる。事務所と契約する途中で微妙な時期であったため、最悪契約が破棄されることも含め、自分の行く末が閉ざされるのではないかと不安に陥ったという。不起訴になったときには安堵し、丸ビルを見て落涙した。
タクシーなどは自腹で払っていたが、事務所は移動費を経費として落としている。そのことを知らなかった北野は、税務署から連絡が来た際にそのままタクシーは自費であることを告げる。経理部長と税務署に出向いて事情を説明するが、税務署からは口裏を合わせてきたようにみなされ、辛い思いをする。
所属する松竹芸能が多角経営の一つとして、うどん店の出店を企画していたが、これを人づてに聞きつけた北野は「うどん売る暇があったらタレントを売れ」とラジオで苦言。この発言が社長の耳に入り、北野は呼び出され「企業秘密を言うな」と釘を刺される。
1993年、ラジオ番組「誠のサイキック青年団」で、山本リンダヘアヌード写真集について、「溶けたアイスクリーム」「整形手術をしまくっている人造人間の写真集なんか買うな!」と猛烈にこき下ろしたことに山本が激怒。名誉毀損として一億円の損害賠償を請求され、同番組のパーソナリティの竹内義和と共に、マスコミ公開の中で謝罪会見をした。
2004年、大阪ローカルの番組で、ナインティナイン岡村隆史の貯金額を暴露、住民票を移していない岡村が何ら節税対策もせず大阪府に丸々納税していることに呆れる。そのことを知った岡村は自身のラジオで「大阪のテレビは洒落にならないことになっている」と驚愕。これについては北野も反省し、移動中に偶然会った相方の矢部浩之に謝罪したり、ナインティナインのラジオのジングルに登場したりした。後に「めちゃ2イケてるッ!」の企画に登場したりするなどしている。[1]
2005年、関西テレビでのテレビ収録において、楽屋に出る弁当が毎回小さかったため、少し大きめの弁当が欲しい旨をスタッフに伝えた。いったんは了承を得るものの、いつまでたっても小さい弁当のままで、その後、幾度となくスタッフから弁当が小さいことを弁解され、しばらくそのやり取りが続いた。その後、大きい弁当に切り替わらない点を、北野がスタッフに詰問したところ、開き直るような態度をとられて憤慨。北野本人としては、何回かにわたり同じことを要求し、その要求を汲んで了承しているにも関わらず、改善が全く伝わっていなかったことの憤りであった。しかし、事務所や周囲からは“弁当が小さくて怒った奴”と受け取られ、さらに詰問したスタッフが女性であったため、“度量の狭い奴”と思われているのではないかと苦悶することになった。
2009年、21年続いたラジオ番組「誠のサイキック青年団」が終了。もともと3月28日を最終回に予定していたが、3月8日の放送を最後に、告知なしに突然打ち切られた。朝日放送はこの事態の理由を明かしていないが、『週刊新潮』2009年4月23日号などには、北野誠が「バーニングの社長はヤクザみたいなもんやから」とバーニングプロダクション周防郁雄社長らを揶揄したことが原因と報じている。
 また、突然の繰り上げ終了のため、番組リスナーとのイベントも中止となった。著書『死んだら、あかん!』の出版記念サイン会だけがリスナーと接触を図れる場所だと、自身のブログで訴えていたが、そのサイン会までもが中止となった[2]。リスナーに参加を切実に訴え、「自分の親父の自殺から…僕の半生を綴った、渾身の一冊です」とまで記していた著書のイベントが、理由も告げられないまま中止となり、多くの憶測を呼ぶ事態となった。さらに、特定の宗教団体への誹謗中傷や特定のプロダクション社長への誹謗中傷が含まれるとの報道もなされたが、同年4月28日の謝罪会見で本人が否定している。


芸能活動を自粛、無期限の謹慎へ

2009年4月10日までに、所属事務所の松竹芸能が、北野に無期限謹慎処分を下す方針を決定した。処分理由は明らかにされていない。このため、テレビとラジオのレギュラー番組を順次降板する考えである。今後については未定。公式ブログ「サイキックブラザーズ1号」は、同年3月29日のエントリー、「清水国明さん」「4月4日」等を最後に事前に何の告知も無く閉鎖されている[4]。
2009年4月13日、CBCラジオ「ごごイチ」に出演。番組冒頭、ラジオ番組・イベントでの発言で関係者にご迷惑をおかけしたと涙の謝罪。4月いっぱいでの「ごごイチ」降板を発表。芸能活動の自粛は自分と松竹芸能で自主的に決めたことを強調。
2009年4月13日、松竹芸能の公式サイトにお詫び文が掲載される。北野誠のラジオ番組・イベントでの発言で迷惑をかけた関係者への謝罪。北野誠を無期限の謹慎処分、関係する役員・社員を懲戒処分にした旨が記される[5]。
なお、この件は新聞でのみ報じられた。

2009年4月28日、所属事務所の社長と共に謝罪会見を行った。その中で、特定の宗教団体への誹謗中傷や特定のプロダクションの社長への誹謗中傷は無いと本人が否定したが、不適切な発言の内容は明かさなかった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090428-00000782-yom-ent